A:中橋修展「内包 ーここにいるー 時と場と人の内に包まれて 今 ここにいる」(紀伊國屋書店札幌本店2階ギャラリー)

中橋修展「内包 ーここにいるー 時と場と人の内に包まれて 今 ここにいる」(紀伊國屋書店札幌本店2階ギャラリー 2011/6/25-30)

雨が降りそうな気配です。厚い雲はもこもことした立体感を増し、夏の雲の様相を見せつつありますが、漂う空気はひんやりとしたまま。先日海開きをしたはずですが、さすがに海水浴をしている物好きはいないでしょう。僕は海が苦手なので、文句はありませんがね。温かいコーヒーを飲みながら読書をするのに最適なので、むしろ歓迎したいぐらいです。

手もとの本はあらかた読んでしまっていたため、新たな出会いを求めて、紀伊國屋書店まで足を伸ばすことにしました。2階のギャラリーでは、ちょうど中橋修さんの個展も開催中なので好都合です。余談ですが、僕はこうした大型書店が得意ではありません。世の中はこれほど多くの知見や情報に溢れていて、その数が日に日に増加しているという事実に強い焦りを感じるからです。知らないこと、知りたいこと、知るべきことが多すぎます。なんとか流れについてゆこうともがくのですが、生憎泳ぎが苦手な僕は常に溺れがちです。

さて、中橋さんの個展を拝見です。白いタイルの敷かれた空間に、都市表象を思わせるインスタレーションが設置されています。個々のオブジェは、アクリルでできた細長い直方体です。上面と下面、そして側面の一面が黒で、側面の黒い面に接する二面は赤、黒い面と向かい合う面は透明になっています。非常にミニマルな造形ですが、それが作り出す現象は複雑です。透明の面の正面に立つと、鏡と同じ原理で、アクリルの表面に自分の姿が映ります。それと同時に、透明なアクリルを通過した光が対面の黒いアクリルに反射して、透明なアクリル上に一回り小さい自分の姿が結像するのです。結果としてこのオブジェの前に立つと、二重になった自分の像を目撃することになります。もちろん人の姿のみならず、周囲の風景も二重に映し出します。

これは錯視的な効果を狙った、いわゆる「オプ・アート」とは似て非なるものでしょう。原理は明確ですし、なにより作家が意図した現象を、鑑賞者の視覚においてではなく、作品の内部において生起させようという独特のスタンスがあるためです。なるほど、「内包」とはよく言ったものだと思います。作家の主眼は、周辺の風景を取り込むことで、作品の内部に新たな風景を創造することに置かれているのでしょう。あるオブジェを設置することで周囲の空間ごと作品化するという、通常のインスタレーションの発想を逆転させたものと言えるかもしれません。非常に面白い試みだと思います。

会場には大小様々な同様のオブジェがあり、ストーンサークルのように環状に並べたり、大型のものを孤立させてみたり、小型のものとさらに小型のものを向かいあわせてみたりと、設置の方法にも工夫が見られました。ただ残念ながら、オブジェ自体の面白さが、十分に活かされてはいないような気もします。やはり展示方法は重要ですね。作品を生かすも殺すも展示しだい。インスタレーションの場合、展示も含めて作品ですが、もうちょっと何か方法があったのではと、他人事ながら悔しい思いでいっぱいです。同じ作品を、別の機会、会場、展示方法でまた見てみたいですね。

ちなみに本日購入したのは大橋完太郎『ディドロ唯物論』(法政大学出版局 2011年)です。唯物論、魅惑的な響きです。どうか思考の手がかりとなりますように。

訂正紀伊国屋会場の床は茶系のフローリングでした。記憶違いでした。