A:清武昌 個展 ーしじまの余韻にー(さいとうGallery)

清武昌個展ーしじまの余韻にー(さいとうGallery 2012/2/21ー26)

なんとほぼ半年ぶりの更新です。本来ならば年明け早々に再開するはずだったのですが、別の趣味にかまけていたせいで、すっかり機を逸してしまいました。しかしカウンターもなく、アクセス解析もしていないため、読者がいるのかどうかもわからないこのブログ。この長い休止について、いったい誰に謝ればよいのか見当もつきません。というわけであくまでも自省に則りつつ、頼山陽的な意味で粛々と、本年も札幌の美術とラーメンについて独断と偏見たっぷりに綴ってゆきたいと思います。

さて、当ブログに初登場なのが驚きの老舗ギャラリー「さいとうGallery」さんにお邪魔しました。札幌の繁華街のど真ん中。一階にある日産ギャラリーではしばしば日産の栄光を築き上げてきた歴史的な名車が展示され、美しいコンパニオンの女性たちがその解説などをしています。近くを通るだけで心が浮き立ちます。

それはさておき、清水昌さんの個展を拝見です。若いながら立派な経歴をお持ちですね。作品もこの個展のために描いたものもあるということで、制作意欲も旺盛な様子。壁画のような長大な作品がひとつと、100号ぐらいの作品が3、4点、あと小作品が10点弱ほど飾られていました。

作風を端的に表すとするならば抽象ということになるのでしょうが、その原型、つまり文字通り画面を構成する主要素の原型は、人体や果実といった具象的な物です。それらは固有の色をはぎ取られ、かすかに形を留めながら、画面にシミのように広がる色斑と同一化するように描かれています。色斑は人体や果実が画面に落とす影のようでもあり、あるいは何か圧倒的な力の奔流に生まれる一瞬の空隙のようでもあります。人体と色斑が重なり合う部分の描写は秀逸で、人体が人体としてのあるべき姿を語り始めようとする瞬間に、その権利を剥奪するような暴力性を感じさせます。

色彩や構成もいいですね。暖色と寒色のバランスは適当ですし、奔放に走らせた線が間延びしがちな空間をそつなく埋めています。にじみやかすれなど偶然性を活かした技法もふんだんに盛り込み、シュールレアリスム的な画面からほどよく説明的な要素を排除して抽象化しています。なかなか巧みだと思います。そして冷静です。

では作品が、全体としての何を伝えようとしているのかと考えると、これがなかなか難しいです。随所に具象的な原型が目に付くために、つい記号論的に読み解きたい欲求に駆られます。作者自身もそうした読み解きを退けようとしているのかと言われれば、そうでもないような気がします。退けようとしているとするには、あまりにも思わせぶりですから。ならばと強引に意味を読み取ろうと試みてみると、なぜ人体の一部が描かれているのか、なぜリンゴが描かれているのかといった問いが虚しく響きます。もし、意味があるようでないといったところを狙っているのだとするなら、僕は見事に術中にはまっているわけですが、それならそれでなぜそのような狙いを持つのかがまったくわかりません。はてさて。

言表するかどうかはともかくとして、やはり作品には明確な制作意図があって欲しいものです。あるいは、作品としてでしか表せないような強い想いが込められていてほしいものです。そうすることが鑑賞者に対して果たすべき作家のせめてもの責任でしょうし、そうして必然性をもって生まれた作品でなければ見ても面白くない、何も感じない、何も伝わって来ない。その点、今回拝見した作品は、やや弱いかなという印象です。

わかったふりをして変な助言はしないでおきます。若い方ですので、苦悶しつつ、どうぞ引き続き頑張ってください。