A:濱田直巳個展「音景 no.5 ーギャラリー創の場合ー」(ギャラリー創)

濱田直巳個展「音景 no.5 ーギャラリー創の場合ー」(ギャラリー創 2011/6/10-26)

突然空いた時間ができたため、これ幸いと「ギャラリー創」さんをお訪ねしました。開催されているのは濱田直巳さんの個展です。素敵なフライヤーを拝見して興味を持ちました。一瞬、フォンタナの「空間概念」を想起しましたが、よくよく見ると、立体造形であることがわかってきます。黒い木片(?)が、テグスか何かで吊されているようです。

実際に作品を拝見すると、はたしてその通りであったのですが、フライヤーから得られるイメージとはスケール感が全く異なることに驚かされました。長さ30cmほどの、木炭のように黒く柳葉のように細く鋭い木片が、おそらく100本以上は並べて吊されているでしょう。木片は太さの異なる3種類がランダムに用いられ、高さや奥行きを違えながらギャラリーの空間を縦に貫く黒い「うねり」を形作っています。近づいて見てみると、木片の太さや吊されている位置の違いによって錯視が引き起こされ、空間に酔うような感覚が得られるのが面白いですね。ただしあまり近づきすぎると、スポットライトの逆光にテグスが浮かび上がってしまって、興ざめしてしまうのが惜しいところです。

見た目の印象が強いせいか、神経を刺激するようなとげとげしさを感じなくもありません。空間を漂うノイズを表現したというところでしょうか。「音景」というからには音なのでしょうね。けれど、先にも書きましたが、フォンタナの「空間概念」を連想してしまった僕の目には、鋭利な刃物で空間に無数の切れ目を入れたようにも見えてしまいます。木片のマットな、つまり光を吸着するような質感も、そうした見え方に一役買っています。もしこの木片のひとつひとつが、空間に漂う音そのものではなくて、音が立ち現れるポイントを象徴しているというのであれば、僕にとってはそちらの方が説得力が感じられると思います。

音を意識した作品は、これまでにも随分と見てきました。その大半は、作品自体が音を発することで、我々の鑑賞行為や、作品が置かれる空間に、能動的に働きかけることを試みるものであったように思います。音を客体化し視覚的に表すこの作品には、斬新さがありますし、かなりのレベルで構想を実現し得ているという、作者の確信のようなものまで感じられます。ただ本作においては概念としての「音」が指向されているせいか(違うかもしれませんが)、作品から音が響いてくるように感じられないのです。作者の「音」のとらえ方しだいでは、これは致命的な欠陥であるかもしれません。

素直な感想としては、斬新で上品、優れてコンセプチュアルだけど、そのぶんやや空虚かな、といったところです。現実と結びついた、鼓動のような音を感じさせてくれる方が、僕の好みです。要するに泥臭い方が好きなんです。

ギャラリーを出ると、空気から湿度を一掃するかのような激しい雨が、地面を叩く音が響いていました。びりびりと、皮膚が震えるようです。やはり音とはこうあってほしいものですね。