A: 「抽象彫刻30人展−北の作家たち−」(本郷新記念札幌彫刻美術館)

「抽象彫刻30人展−北の作家たち−」(本郷新記念札幌彫刻美術館 2011/5/21-7/10)

久しぶりに彫美を訪ねました。本郷新は大好きで、ドライブのついでに石狩まで足をのばし、「無辜の民」を見てくることはよくします。札幌市内からふらっと出かけるには、ちょうどよい距離ですから。でも宮の森へは、よほどの動機がないと行かないですね。あの空間は好きですが、立ち寄る時間がもったいなく感じてしまう。美術館としての規模、記念館というあり方、立地、情報発信力、企画力、それら全てを考慮しつつ、彫美へ行く手間や時間と、彫美で得られるであろう美的経験を秤にかけると、手間と時間の方を重く感じてしまいます。好きではあるのですけどね・・・

ですがこの度は、珍しく(失礼!)違う方向へ秤が傾きました。開館30周年を記念して、ベテランから若手までの立体作家を、その表現傾向によって「抽象」と「具体」との2極に分類し、会期を違えて各30名ずつ紹介し、最後にはまとめて総勢60名を紹介するという大胆な企画を打ってくださったためです。現在道内で活躍している立体作家の大部分を網羅する展覧会と言ってよいでしょう。第1弾である「抽象」編のチラシを拝見すると、とにかく有名どころが名を連ねています。これで見応えがなかったら大問題です。ということで、重い腰をあげる決意をしました。

とはいえ、実は、それほど刺激的な経験を期待して出かけたのではありません。むしろじっくりと、各作家の成果を確認することが大きな目的でした。考えてみれば、部分的にとはいえ美術界の現状を総覧するようなこの手の展覧会に出品される作品は、それぞれが作家の最近の作風を代表するような作品であるはずです。作家は、新作を出品することはあっても、このタイミングで新たな問題提起を試みたり、新境地の開拓を目指すような実験的な作品を出してくるようなことはしないでしょう。そもそもそれでは企画の趣旨からはずれるような気もします。先鋭的な試みを目撃したければ、個展へ行けばよいのです。美術館で開催される展覧会がいかなるものであるべきなのかということについても、考えてみなければなりません。しかも今回は、彫美の30周年を記念する展覧会です。暫定的な仕方であったとしても、この30年間で北海道の立体表現がたどり着いた地点を示し、今後の展望を得ようと言うものでもなければ、美術館の名折れでしょう。おそらく今回の「抽象」と次回の「具象」では現状確認を行い、最後の「60人」で問題提起を行うなり、今後の展望を得るなりするのではないかと想像します。そうであって欲しいものです。

そういう意味で、美術館と出品作家の間で、本展の意義や目的について、どれだけ同意が持たれていたのかは疑問が残ります。それぞれに円熟を示す作品がならび、全体として見れば、実に堂々とした展示でした。30もの個性を、決して広いとは言えない空間に破綻なく配置した手腕も見事です。ですが、どうも覇気がない作品、「ここまで来たぞ」というような自負を感じさせない作品が、いくつか見られたことが残念でした。もちろん好みの問題もあります。あくまでも個人的な感想であることを高らかに宣言しつつ書かせていただきますが、抽象彫刻と聞くと真っ先に思い浮かぶ阿部典英さんは、僕はどうしても好きになれません。理解したいと思うのですが意味がわかりません。泉修次さんの作品も、放り投げっぱなしにされているような気がして、あまり好きではありません。野又圭司さんは、今作はその場しのぎのような感がありました。もったいないです。國松明日香さんは揺るぎない円熟っぷりを示していましたが、そろそろやや惰性も感じさせます。櫻井亮さんや端聡さんは面白かったです。特に端さんは振り幅が大きすぎて、今回の企画には合っていないような気もするのですが、端さんを加えることで状況の混沌っぷりを描きたいという意図があったなら、成功しているのかもしれません。

先にも書いたとおり、この企画は、続く「具象」と「60人」によって完結します。僕の期待どおりであるならば、それら全てを見終えたときに、「なるほど、そうだったのか」と言えるはずです。そう期待しています。ということで今回はほどほどにして(結論を先延ばしにしてばかりでなんですが・・・)、今後の展示を見つつ、北海道の立体表現の現状や、こういった総合展の役割などについて考えてみたいと思います。