A:土田俊介個展 考えてもつくれないんだけど、考えていないと出会えないモノ。(CAI02)

土田俊介個展 考えてもつくれないんだけど、考えていないと出会えないモノ。(CAI02 2011/5/7-28)

夕方から降り出した雨の中、またまた会期終了間際に駆け込みで見てきました。本展が開催されていたのは、札幌の現代アートの、もはやメッカとなってしまった感のある「CAI02」です。ここの空間が好きだという人は多いのではないでしょうか。薄暗い照明とむき出しのコンクリートのあの独特の臭いで、いかにもアンダーグラウンドな雰囲気満点(決してアンダーグラウンドであることを意図しているわけではないでしょうが)。適当に何か置いてみただけでもそれなりに格好よく見えてしまうという、なんとも罪な空間です。でも好きですよ。特に展示スペースの「raum1」は、ビルの地下にありながら天井が高く、鉛直方向への不思議な開放感が得られるところなど。
ただし今回の展示においては、いつもの開放感は得られず、まとわりついてくるような圧迫感を感じました。もちろん、中央にどんと据え置かれている作品が原因です。ワイヤーメッシュを組んで作られている直方体が6つほど組み合わされていて、それぞれの直方体の中には羊毛や木材などを組み合わせてつくられた奇妙なオブジェが入れられています。全体でh230×w300×d140cm(目測ですが)ぐらいの大型の作品です。いかにも臭ってきそうなのは、羊毛や、ピンク色のスパンコールが散りばめられた袋のようなもののせいです。グロテスクなこのオブジェは、内蔵をさらけ出して横たわる動物の死骸を容易に連想させます。腐敗臭さえ漂ってきそうです。正直、あまり長時間眺めていたくはありません。
そういった死のイメージが圧迫感の原因かと言えば、そうではないでしょう。むしろ原因は、ワイヤーメッシュが織りなす正方形のグリッドと、それが作り出す、オブジェと鑑賞者との距離感にあるように思います。もしこの羊毛のオブジェが無造作に床に置かれていたならば、鑑賞者は手を伸ばし、嫌忌なく羊毛に触れその素材感を愛でるでしょう。あるいは、あまりにもわざとらしく提示された死のイメージに、鼻白むこともあるかもしれません。しかしそうした直接的な接触や、あけっぴろげなイメージとの衝突を、ワイヤーメッシュのグリッドが拒みます。手を伸ばすことはできるのに禁じられているようなもどかしさや、目の前に想像力を刺激する何かがあるのに、それから引き離されてしまっているような疎外感を与えるのです。つまりオブジェと鑑賞者の間にはグリッドに象徴される壁があり、強制的に一定の距離感を生み出している。そしてその歩み寄りきれない距離感があるからこそ、本作は、展示空間をそのサイズ以上に圧迫しているように感じさせるのです。そんな気がします。
では、なぜ、あえて、そういった距離感を用意するのかというところを考えてみなければなりません。が、非常に難しいですね。ただでさえ勝手に想像しているだけなのに、その上さらに想像を重ねなければならないのですから。例えば、見るものと見られるものとの断絶や、作者と鑑賞者もしくは制作することと解釈することとの乖離などといったもののメタファーである、といったことを言うことはできるかもしれません。あるいは、このグリッドは世界の構造を反転させ、実は我々こそが壁の中に閉じ込められているということを発見させる装置なのだ、我々は世界から疎外されているのだ、なんて突拍子もないことも強引に言えるかもしれません。でもいまいち説得力に欠けますね。恥ずかしながら、今回はじめて土田さんの作品を拝見したので、今後の課題として、また作品を拝見する機会が得られたときに改めて考えてみたいと思います。
それにしても、なかなかどうして、刺激的な作品でした。難解でしたがね。