A:澁谷俊彦展ートノサマガエルの雨宿り(ギャラリー創)

谷俊彦展ートノサマガエルの雨宿り(ギャラリー創 2011/5/18-29)

大体いつもギャラリーなどに行くときは、会期終了間際です。だからこのブログは、誰かに勧めるためとかではなくて、自分の感想を確認するためにしていることです。とはいえ、感想を綴ったあとに、もう一度作品を前にして自分の感想を反省するということを積極的にすれば、作品への理解も考察もより深まるはずですから、面白そうな企画があれば開始早々に訪ねるべきですね。理解すること、考察することには努力が必要です。僕には努力が足りません。

久しぶりに「ギャラリー創」を訪ねて、そんな自責の念に駆られました。なぜなら展示中の澁谷さんの作品が、なかなか面白かったからです。「トノサマガエルの雨宿り」と題されたインスタレーションでした。インスタレーションという認識であっていると思います。「ギャラリー創」の特性、たとえば正方形のタイルが描く床の規則的な模様や、光と陰が絶妙に入り交じる採光の妙などを十分に勘案して、この空間のためにしつらえたような収まりのよさがあったためです。作品の方にはこの空間に置く必然性を感じましたし、空間の方にはこの作品が置かれることで、特別な雰囲気が生じていました。作品と空間の理想的な関係と言えます。

作品自体は、シンプルだけど手が込んでいるという印象です。湖面に浮かぶ蓮の葉のイメージでしょう。大きさの異なる2〜3枚の真っ白い円盤が、高さを違えて重なり合い、いくつかの群れをつくっています。天井からはテグスで涙滴型の小さな錘が何本もつり下げられていて、雨のイメージを演出しています。円盤同士が重なり合っている部分は、接しておらず隙間があります。円盤の裏面は蛍光塗料のようなもので彩色されていて、その反射光が下の円盤を黄緑やオレンジといった色に美しく染めます。近づいて、円盤の下を覗きこもうとすると、トノサマガエルがいました。円盤に同化するように真っ白に塗られていますが、思いのほかリアルだったのが驚きです。円盤の群れはそれぞれ規模が異なりますし、蓮の花のモデルを置かれたものなどもあり、ひとつひとつを飽きずに楽しむことができます。訪れた時間帯もよかったように思えますね。外光が差し込んで明るい部分と、陰になっている部分とがちょうど良いバランスでした。人工照明下では、きっと魅力は半減したでしょう。

ひととおり楽しむことはできましたが、いざ感想を書くとなると難しいです。「面白かった」ぐらいしか思いつきません。とても完成度の高い作品だったとは思います。作者の意図は伝わりましたし、物の質も高い。細かい配慮も計算も尽くされている。でも僕の思考はそこでストップです。とりたてて文句をつけるところもありません。物足りないと言えばそうかもしれないですね。よくでき過ぎていて、つっこみどころがない。きわめて陳腐な感想ですが、これがいちばん近いかもしれません。

ギャラリーを訪ねるというのは積極的な行動です。その背景には何があるでしょうか。僕の場合は期待感だと思います。僕は鑑賞することを楽しいと感じます。誰かが何らかの意図をもってつくった何かを見れば、そこに込められた意図、意図を伝えるために採られた表現や尽くされた技術、あるいは形を成そうとした意志や衝動について、何らかの発見があるものです。すると感性がざわめきます。時に感心し、驚嘆し、敬意を抱くこともあります。不快になったり、落胆したり、憤りを感じることだってあります。それが楽しいのです。つまり僕は、感性をざわめかせてくれる何かとの出会いを期待していると言えます。癒しなんて不要です。夢中にさせてほしいし、熱狂させてほしいし、興奮させてほしいのです。

大仰に書いてしまいましたが、要するに、やっぱり物足りなかったということになりますね。でも面白いと思ったので、作品を前にして、もう少し深く考えてみるべきところでした。時間の関係で、会期中に再び「ギャラリー創」へゆくことはできません。残念。

写真はギャラリー創のHPから拝借